IFと考えるコト
私は昔エンジニアだった。エンジニアならIF文は良く書くだろう。エンジニアでなくともExcelを扱う人も良く使うものと思う。
# JavaScriptでtest変数に何か文字があるか
var test;
if (test != "") {
console.log("空っぽじゃない");
} else {
console.log("空っぽだ");
}
# ExcelでセルA1に何か文字があるか
IF (A1<>"","空っぽじゃない","空っぽだ")
私はこのIF分がとても好きだ。条件に合致するのかを判断するのだが、条件に合致しないものに対しても命令を下せるところがたまらない。選択したものに対して命令を下し、選択しなかったものにも命令を下せる。そう、プログラムの世界では…。
人は毎日生きている中でこのIF文を毎秒処理している。
朝起きて二度寝するか、しないか。朝ごはんはパンにするか、ご飯にするか。仕事を残業して今日片付けるか、明日の自分に任せるか。今月節約するか、豪遊するか。夏休みに旅行に行くか、行かないか。そして、今"note"を書くか、書かないか。
毎日、毎秒、私たちは"選択"を繰り返し、その繰り返しを重ねて"人生"を作っている。二度寝したことで彼女とのデートに遅刻してしまうのも、残業せずに帰ることで家で待つ子どもたちに「おやすみ」と言えることも、夏休みに旅行に行くことでリフレッシュすることも。全てはその時々の些細な選択と重大な"選択"の繰り返しで生成されている。
ただ、残念なことに人生では"選択した未来"しか見ることはできない。プログラムと違い、"選択しなかった未来"は見ることができない。「あの時こうしていれば…。」と思うことは多々あるが、それは後の祭りというものだし、その「あの時」に選ばなかった方の未来が必ずしもハッピーである保証もない。そう、選ばなかった未来は見えない。
ただ、選ぶ前に少しだけ考えることはできる。目の前にあるものを"選ぶ未来"と"選ばない未来"を想像することはできる。選ぶ前に考えることで、自分が選んだ未来だと自分自身に刻み込むことができる。
人は"選択"をすることができる。選択した未来しか見ることはできないが、自身で選んだ未来だと心に刻むことで、向き合うことができる。そうすることで、人生と日々を自分自身で向き合い積み重ねる。
私は、これからもIFと考える。そうして、自身が選んだ"選択"に誇りを持つために。
余談だけど、彼女との初デートに二度寝して遅刻をしたのは私の実話で、平謝りをする私に「大丈夫?具合が悪い?」と心配で返してくれた彼女は今のヨメである。