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竜とそばかすの姫のお父さん

竜とそばかすの姫を観に行きました。感想は他の方にお任せして、鈴の父親についての感想を綴ろうと思います。

映画の本質の部分ではないですが、必然的にネタバレが入ります。まだ観ておられない方はここでブラウザバックしてUの世界に旅立ってください。


では、OK?


鈴の母親は見ず知らずの子どもを助けるために命を落とします。我が子が止めるのも振り切って。鈴はそれにより大好きだった歌を歌えなくなります。

それから数年。母を失ったことによる鈴の苦しみと鈴自身の変化は映画の中で語られています。その間、父親との関係も変わり、距離を置いています。

日々のやりとり的な挨拶と父からの「今日、夕飯は?」に対して「…要らない」というやりとり。

一見見ると母を失った娘を思いやらない父親にも見えます。距離感が生まれてしまったのは、鈴自身の感情と父親の見せる感情のかえりに納得できなかったからでしょう。

映画の中心的な人物ではないので母親が亡くなった時、父親がどうだったのかは分かりません。

ただ、家族写真を揃って撮ったり、一緒にご飯を食べたりとしていたシーンがあったので、仲の良い家族であったのは間違いなく、父親もやり切れないことだったでしょう。

子どもからすると母親というのは血の繋がる親という見え方しかできないものですが、夫(父親)からすれば妻(母親)は、愛して人生を共に歩くパートナーに選んだ人なのです。

親子は血縁という最初からある繋がりがあるのに対して、夫婦は何も繋がりがないところから育みながら愛と信頼を積み重ねてきた戦友に近しい存在です。

親子と夫婦の想いの強さを比較する意図はないです。何が言いたいかというとお父さんもそんな人を失ったのです。つらく悲しく心へし折れ自暴自棄になったことでしょう。

映画ではそんな描写は一切ないですが、きっと鈴の見ていないところで感情を吐露して泣いていたに違いない。そういう関係性を築いた夫婦であり、家族であったと思います。

そして、覚悟を持って鈴を見守ることを決めたのでしょう。母親の変わりはできないと自身の力量を認めたのかは分かりませんが、鈴を信じて一定の距離を置いてずっと見守っていたのでしょう。

合唱団のおばちゃんたちから東京行きの話を聞いたと鈴に連絡をしていますが、おばちゃんたちとその会話ができていることからも周りの方たちの助けを得ながら、繋がりを持って見守っていることがうかがえます。

もちろん、これは空想です。そんな志なく父親も心を閉ざしていただけかも知れません。ですが、愛する妻を失い、娘を育てるという大任を唐突にひとりでやらなければならなくなり、世間からも妻の行動に後ろ指をさされ…。

娘との距離感は微妙になり、反抗期と避けられるような行動を取られる。それでも鈴を信じ、愛して見守り続けていたのです。

これは、自分がその立場ならできるのか?と。めげずに「夕飯は?」とそんな娘に話しかけられるだろうか。見ず知らずのネット上の人を助けたいという娘を送り出せるだろうか。

たぶん無理だろうなって思った。そんな心の強さを持てないだろうと。自分のことを棚にあげて娘の想いと感情を踏みにじってしまうことだろう。娘であっても自分のことでいっぱいいっぱいになり、見守るという行動と感情は保てないし、それが表に出てしまうだろう。

なので、妻と映画を見終わった時にふたりとも「あのお父さん、すごいよね。」という感想が出てきた。

鈴にとってはちょっと距離のある父親であったかも知れないが、素晴らしい父親ですよ。子どもが立ち上がることを信じて待ち、親として子どもが「ただいま」と言える場所をつくり、続けること。

そして、愛する妻の信念と行動を信じ続け、それを受け継ぐ娘も信じ続け受け入れること。

竜とそばかすの姫は、成長と信頼、恋愛要素が表立っているように描かれていますが、親とその夫婦という生き様が描かれている作品でもあります。

素晴らしい音楽と映像と共に、鈴を育んだ夫婦と娘を信じ続ける父親も片隅で思い出して欲しいなって思います。

鈴が立ち上がり、また一緒にたたきが食べれて良かった。

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