勉強のしかた
娘が泣いているとヨメが言うので理由を聞くと「問題集の答えが分からない」という。どうやら数学の解き方が分からないらしい。
このコロナによる休校の中、子どもが授業を受けられない影響は大きい。公式のように基礎の解き方を教わることができないこと。分からない時に質問ができないこと。
残念ながらパラパラと問題集を見たけど、中学の数学だとオレもヨメも教えることができなさそうだった。ヨメ曰く、教材は少しレベルが高く、応用問題が難しいようだった。
涙を流す娘に向かってかけた言葉。それは、「間違ったっていいんだよ。」ということ。
これはオレも学生の頃にそうしていたし、大人になってからプログラムなどの勉強をしていた時も同じようにしていたのだけど、分からなかったら答えを見ちゃえばいい。そして、「なぜその答えになるのか?」を学習すればいい。
勉強をしている過程のなかで間違えるのは悪いことではない。子どもには言い続けているんだけど、何でも最初からできる人なんていない。練習、勉強を反復してできるようになる。
最終のゴールを学期末などのテストと仮定するならば、それに向けての工程はすべて「勉強」という練習。行ってないけど、塾のテストもそうだし、授業中の小テストもそう。間違ったら見直して改善する。それを試す機会の場なのだから。
そして、こうも伝えた。解けなかったのは応用問題。それならば、王道の「基礎をしっかりやるべき」だと。応用問題は、基礎を使って解くのを意地悪く作った問題。そんなの初見で解けるはずがない。
娘にはこう伝えた。「卵料理でも、いきなりアレンジ料理を作ろうとしても上手くはいかないでしょ?まずは目玉焼きを作ってみて、次に卵焼きを作ってみて。いろいろな卵料理を作ってみてはじめてアレンジ料理が作れるようになる。いきなりはできないでしょ?」と。(例が卵料理なのは、この日息子が卵料理を作ってたからで特に意味はないです。)
また、常に100%を目指すのではなく、70%の完成度を目標にしてできることをやると良いとも伝えた。10問あって10問すべて正解となるのを目指すと勉強としては壁にぶち当たる可能性が高い。いわゆる、完璧を目指しすぎている。
それなら勉強する必要ないんだよね。分からない30%があるから勉強なんだよね。なので、間違えることが悪ではない。むしろ、間違えたことで精神的に病んじゃうことの方が悪だ。基礎を何度も行い、分からなかったら答えや解説を見て、反復して応用に備える。
娘は、少し話をして落ち着いたようで、泣き止みまた机に向かいはじめました。悔しかったのと、焦りがあるんだろうけど、泣くほど勉強に向かい合っているのは、えらいなぁと思いました。