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コロナによる記録

stay home、三密、緊急事態宣言、ロックダウン、クラスター、オーバーシュート、ソーシャルディスタンス、自粛警察、アベノマスク、アマビエなど。

このコロナで使ったことがない言葉が生まれ、新しい生活様式が生まれました。そういえば、オーバーシュートってあまり言わなくなりましたね。

やまだ家も生活が変わり、今まで感じたことがないことも感じるようになった。忘れないために記録しておきます。今思い出すと、3.11の記憶とその時の感情って薄れちゃっています。あれだけ様々な感情と経験をしたのに。

それは、人間のすばらしいところで、"忘れる"という記憶容量保持機能が備わっているから。コンピュータのように、すべてを覚えて、すべてを忘れるようには出来ていない生き物だから。

個人的な記録として書いているのでムダに長文です!

まず、一番大きかったのは"休校"です。最初は、子どもも喜んでましたが、まさか3ヶ月に及ぶとは思いませんでした。

休校により、最初は2週間ぐらいだろうと思ってあまり勉強とか気にしていませんでしたが、4月も休校になる動きがでてきたあたりから、親も子どももこの休校に対しての考えは変わってきたのだと思います。

その時に起こった出来事がこれ。

このできごとにより、自分が子どもの頃からバカにしていた学校の授業の捉え方が変わりました。

子どもにとっては、学校に行き、先生から解き方、考え方を教わり、周りにいる同級生の声や行動から自身の考えや答え合わせをしながら学び、積み重ねて行く。これが学校での教育の質だ。

子どもたちもそれは感じているようだけど、もう3ヶ月この生活をしていると、学習のリズムもできてきました。

午前中に学校の勉強をして、午後にZ会(上記のできごとが起きた後に動画ならできそうということが分かったのでipad講座を申し込んだ)を自分のペースでできるようになっている。

ただ、やはり躓くことも多く、小学校の息子の勉強はべったりヨメが付いてサポートしているので、親も子も学校のありがたみを感じ、早く始まって欲しいというのが正直なところだ。

そして、もうひとつは"在宅勤務"。幸いなことに元々週2回は在宅勤務を直近でしている生活だったので、それが週5になったというのが家族の受け取り方だが、この最悪なタイミングでオレは転職をしたので、転職先で初日から在宅勤務という形に。

幸いなことに、在宅勤務でも大きな支障が出ない業務構築を会社側が作ってくれており、助かっている。初日から必要となるPCもセットアップ済で郵送してくれ、業務のコミュニケーションはSlack、会議はZoomを活用。

そして、家にある椅子での業務で腰を痛めていたのだが、オフィスで使っている椅子を郵送してくれるまで対応してもらえて快適に仕事ができている。ありがとうございます。

エンジニアではないけど、オレもぬいぐるみと一緒に写ってます。

ただ、この在宅勤務中に子どもも休校。家にはオレ専用の書斎なんてリッチなものはないので、娘が気を利かせて部屋を貸してくれている。

おかげでZoomをつなぐと、ぬいぐるみと韓流ポスターが映るのだが、快適に仕事ができるので助かっている。中2という年齢で父親が部屋に入るのを許してくれるのはまぁまぁレアなんじゃないかな。

こうして、親も子どももstay home体制となり、朝も晩も一緒にいるようになった。そうなったことで、まず大きいのは一緒にごはんを食べれるということだ。オレも通勤時間がないので、三食家族と一緒に食べれる。こんな生活は過去なかったので、貴重な体験。

通勤時間がないというのはホントにすばらしい。その分の時間で様々なことができるようになった。

まずは、運動不足の解消。朝、家族で毎日ではないけど1時間ぐらいウォーキングをするようになった。(息子は最近脱落して留守番だが…。)

加えて、運動不足を解消するために、リングフィットアドベンチャーを買った。これだと息子もゲームとしてやり続けている。今のところ、家族全員で続けている。これも通勤時間があったら、帰ってからやらない気がする(苦笑)

家から出れないこともあり、土日も出掛けられない。3月ぐらいの時は、公園に行くのは許される雰囲気だったけど、徐々に公園の遊具も利用禁止になり、自粛警察なる者がニュースにもなり始めたので本格的に外出しなくなった。

買い物も子どもたちは留守番。やまだ家で唯一の娯楽であった週イチの外食もできなくなった。

そのなくなった娯楽感覚を取り戻すためにやったこととしては、いくつかあるが、ベランダキャンプは良かった。

公園で使う予定でアマゾンのセール買ったけど、全然使ってなかったテント。オレが一時期ソロキャンブームが気持ちだけ到来した時に買ったキャンプ用マットレスなどを広げてテントでご飯を食べた。

これはかなり快適だったし、ストレス解消になったし、子どもたちも喜んでた。GWの休みなのに出掛けられない気持ちを緩和してくれた。

あとは、元々買っていたゲームソフト"いただきストリート"や新たに買った"みんなのゴルフ"は活躍したし、久々に引っぱり出してきたボードゲームもみんなでやると楽しかった。

娘は、この休校の間にヨメの誕生日プレゼントに買ってタンスの肥やしになっていたウクレレを引っぱり出し、レミオロメンの"3月9日"が弾けるまでになった。

それでも吹奏楽部の定期演奏会、コンクールが中止となり、娘の青春の1ページがなくなったことは悲しい。楽器が思いっ切り吹ける日はいつになるんだろうね。

娘と息子は、休校の間に料理を何回かしてくれた。これは「ご飯を作らなくていい!」とヨメも喜んでいた。毎日3食。作るの大変だよね。

あと、感情として忘れないように書いておくと、在宅勤務がはじまるまでの間、ホントに会社に行くのが嫌だった。

まだ緊急事態宣言が出ていない頃、満員電車でマスクをしていない人も多く、家族の中で唯一外に出ているのがオレだったので、ウィルスを持ち込まないか気が気ではなかった。

その時に志村けんの訃報。あれが日本のコロナに対する様々なことが変わったと思う。そして、かかったら自分も死ぬかもと思うことが強まった。在宅勤務になってからその意識は低くなった。在宅勤務は精神的な部分にも大きく作用したと思う。

わずか3ヶ月で大きく変わった。ただ、悪いことばかりではなかったかな。家族との時間は増えたし、子どもが抱えていた問題の解決を一緒にできたし。悪いことばかりじゃなかった。

それでも、コロナは世界と人を大きく変えた。そして、これからも変えて行く。願わくば、恐れて生きる世界とならないといいなと思います。数年後にこのnoteを読み直した時に「あの時は大変だったよねぇ。」と話せると信じて。